桐紋の謎ーTV・やりすぎ都市伝説より


家紋に込められた怨念ー桐紋の謎ーやりすぎ都市伝説より
やりすぎ都市伝説のなかで「家紋に込められた怨念」というテーマでのはなし、なかなか興味深く見てました。


皇室の副紋とされる桐紋は、格式の高い紋章。
後醍醐天皇が足利尊氏に下賜された史実は、朝廷の御用紋章として鎌倉末期に確立していた証拠でもある。
尊氏は拝領したこの桐紋を一門の吉良、細川、新田、今川、山名、一色、斯波、畠山などの諸氏に与えた。

日本の十大家紋ー桐紋の一例

桐紋の一例

豊臣秀吉も同様に下賜された。
桐紋を多くの武将に与え、大いに普及させた。
秀吉は絢爛豪なは桃山文化を花咲かせたが、その権力を誇示するために、建築、工芸・美術品ににやたらに「太閤桐」とよばれる桐紋を添えた。

太閤桐-7-KR-15

菊に次いでもっとも名誉ある桐の紋章は、武将のあこがれの的であっただけに、借用、盗用も発生し、ついに秀吉も禁令を発してその無断使用を厳禁した。
これが天正十九年の菊桐禁止令である。

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豊臣氏からの拝領は十七氏を数える。その他、「寛政重修諸家譜」には四七三氏が桐紋を使用している。

桐紋も千変万化にデフォルメされて種類は無数にある。
花の数で分類し中の花茎に五花に両脇に三花あるものを「五三の桐」といい中央に七花と両脇に五花あるものを「五七の桐」という
また、葉、花が角張った鬼桐などデフォルメされて実に多くの桐紋が確認されている。


桐紋は元々は天皇家の家紋でした。
菊紋に次ぐ紋でしたが天皇家が功績のあったものに下賜したために武家に広まりました。
豊臣秀吉も下賜されました。
明治時代に朝廷の政府ということで桐紋の使用を宣言して使用しその流れで現在のの政府も使用しています。

テレビのニュース等で野田総理が何かを発表するときのテーブルの前面にこの五三桐が刻まれていえます。



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